山田方谷の足跡を辿る

山田方谷の足跡を辿る
幕末に高梁藩の財政改革を行い、幕府・新政府に影響を与えて山田方谷の足跡を辿って新見市大佐、真庭市、高梁市を岡山歴史研究会が探訪した。日本・世界の財政不況に指針を­与える理念がある。観光的にも楽しい15.5分のビデオにまとめた。

もう一つの平家物語…安徳天皇 能勢初枝(1)

江戸末期の文化14年、摂津能勢郡の民家の屋根裏から発見された古文書は平安の貴族藤原経房が息子に宛てた遺書だった。そこには壇ノ浦から安徳天皇を守って山里能勢まで逃­れてきたこと、そして天皇は一年後に亡くなったことが書かれていた。

 

草ケ部の古代史(丸谷運営委員)

当会・丸谷憲二運営委員の「草ケ部の古代史」(平成23 年5 月1 日)を掲載します。

[追記:2/4原稿差し替え]

岡山市東区「草ヶ部」の地名の由来に日下郷説がある。平安時代中期、承平4年(934)頃成立の百科事典『和名類聚抄』に、「備前国上道郡九郷の一つ日下郷」とある。「日下」を「くさか」と読むのは難しい。「くさか」であって「くさかべ」では無い。古代史の「くさかべ」の表記は「日下部」と「草壁」である。備前国では「草ヶ部」と表記されている。
天武天皇(631~686)と持統天皇(645~703)の間に生まれた「草壁皇子(662~689)」に注目し、吉備の名前を冠した吉備内親王(~729)について考察したい。地名学による考察であ
る。 >> 草ケ部の古代史 考PDF13.9MB (追記:2/4原稿差し替え)

二千年の歴史、岡山の魅力

古代衣装で楯築遺跡の案内スタッフ一同、筆者は前列右から2人目

楠 敏明氏の住む集落、西山町内会(倉敷市日畑)は楯築弥生墳丘墓遺跡・楯築神社・御神体=弧帯文石(通称亀石)を氏神様として約2千年近く祀ってきた。
王墓の丘史跡(楯築弥生墳丘墓遺跡)が国指定遺跡になり、西山町内会が倉敷市教育委員会文化財保護課の委託を受け楯築神社・御神体=弧帯文石(通称亀石)・朱等の管理、王墓の丘史跡公園(楯築遺跡)の草刈・清掃活動等を毎月している。
日本先史古代研究会の会報『きび考』2012年(平成24年)第5号(2月発行)の寄稿文「二千年の歴史、岡山の魅力」を紹介する。

 楯築遺跡

 楯築遺跡